論評

“丘に登りながら遊ぶ”――福山知佐子の絵の息吹きに触れた日に

吉増剛造

福山知佐子の“花”に触れて――吉田文憲

まだ見たこともない宇宙の“裏庭”――“廃庭”と画家が呼んだ――

世界の向こう側に、だれにも知られることなく咲き、散ってゆく野の草花たち。

画家のエロスと直接響き合う妖精の指尖の“筆触”の“いたみ”が、画家の画布のうえで発光し、

虚空に浮かぶ“花”の姿で、“花”のかたちで、さらにはげしく身をよじらせながら裂けている。

花とは、見知らぬ宇宙の“裏庭”からやってきて、この世の“(はな)”に咲く、その生命の“裂けた”幻の痕跡なのだ。

妖しい霊気が渦巻いている見知らぬ星の空の下で、いま画家のいたみが“花”となって裂けている。

“花”となって咲いている。

福山知佐子の絵の一見畸型の美とも、非対称の美とも見えるものは、画家のエロスが“花”に、“葉”に、“茎”に――植物に化身して妖しくうねっているその戦慄(おののき)の“立ち姿”なのだ。

 

――私たちはいま“花”の姿を借りてこの地上に化身したものの触れがたい謎に触れるようにして、その絵の前に佇っている。

たった8秒のこの世に、花を

稲川方人