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花とは何か?花は、生けるものが世界に向けてかくも開かれてあるところ、生けるものが我を忘れているところにある。 ――ジョルジョ・アガンベン

 

『花裂ける、廃絵逆めぐり』水声社

福山知佐子画集

『反絵、触れる、けだもののフラボン』――見ることと絵画をめぐる断片

                      水声社 2012年10月30日発行

                      http://www.suiseisha.net/blog/

この書物をオビにするのは、至難の業です。

書いても描いても尽せない

いのちの豊穣に焦がれて

ヒトの世を生きる福山知佐子は

どこまでも濃密なエロスの人だ。

 

         谷川俊太郎

 

 

『デッサンの基本』 アトリエ・ハイデ編 ナツメ社 2009年7月

 2024年8月現在 第39刷

 

谷川俊太郎さんが、『デッサンの基本』(ナツメ社)の帯文のために書いてくださった4つの文章

 

「花」という言葉が花を覆い隠している

デッサンは花という言葉を剥ぎ取って

花という得たいの知れない存在に近づこうとする

            *

紙の上にワープして

花は「花」という言葉から

自由になる

花が生きるように沈黙のうちに線も生きる

それがデッサンではないか

            *

目前の具体物を紙の上に抽象化する過程で失われるもの

それを惜しむことで何かを得るのがデッサンかもしれない

            *

「写す」のは写真でもできる

デッサンは「移す」のだ

 

花を紙の上に

『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』

ジャック・デリダ マリ=ルイーズ・マレ編 鵜飼哲訳

あとがき 「応鳴、息の犇めきーージャック・デリダの動物論に寄せて」福山知佐子より抜粋

 

〈根本的共苦〉、あるいは〈応答〉とは何か。〈真の問いに対する関心とは何か〉。それはどれほど不可能なものなのか。

 

〈私があなた方に打ち明けようとしていることのすべては、たぶん、私に応答するよう、あなた方が、私に、応答するとは何を意味するかということに関して、私に応答するよう、あなた方に求めることに帰着するからだ。〉とデリダは言う。単なる〈応答〉ではなく、デリダに対して、〈応答するとは何を意味するか〉に関して〈応答〉することを〈求める〉と。

 

問題は――〈問題は、それゆえ、動物たちが、〉〈話すこと、あるいは推論することができるかどうかではない〉、〈先決的、かつ決定的な問いは、動物が、苦しむことができるかであるだろう〉という言葉をめぐって、語れる能力を持っていることを示すことではなくて、動物たちの苦しみをどれだけ〈共に〉苦しむことが〈できる〉のか、どうしたらその苦しみを〈限界の周りで、限界によって〉〈養い〉、〈生成し、育成し、複雑にできる〉のかということだろう。

あんちりおん3号

1000円

総特集

福山知佐子『反絵、触れる、けだもののフラボン』を読む

鵜飼哲、阿部弘一、花輪和一、鈴木創士、水沢勉、谷昌親、斉藤恵子、佐藤亨、清水壽明、堀内宏公、田中和生、森島章人、篠原誠司、穂村弘、吉田文憲

 

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